今回は、大神神社の摂社にあたる「大直禰子神社(若宮社)」をご紹介していきます。
大直禰子神社 基本情報
大直禰子神社(若宮社)
所在地:〒633-0001 奈良県桜井市三輪177
アクセス: JR桜井線「三輪駅」下車徒歩5分
もしくは近鉄・JR「桜井駅」より奈良交通バス「三輪明神参道口」下車徒歩約10分
駐車場:あり(大神神社の駐車場と同じ)
メモ:国重要文化財にしていされている神社。大神神社の摂社にあたる
大神神社には沢山の摂社、末社がありますが、この「 大直禰子神社 」は摂社というよりは、一つの神社くらいの規模があります!
大直禰子神社 駐車場情報
大直禰子神社 (若宮社)の駐車場は、大神神社の駐車場と同じです。
一の鳥居(大鳥居)のすぐ脇にあるのが第1駐車場。本殿に一番近いのは第6駐車場となります。
お年寄りやお子さんがいる場合は第6~第3あたりに停められるのがよいと思います。
なお、以前は二の鳥居のすぐ目の前にも駐車場がありましたが、現在はありませんので注意が必要です。
(JR線の踏切を超えると駐車場はありません)
御祭神
御祭神
御祭神の大直禰子命は、三輪の大神さまの子どもとも、ご子孫ともされる神様。
なので、別名を「若宮社」といいます。
大直禰子命 とは?
大直禰子命(おおたたねこのみこと)とは、古代日本にいたとされる人物。ポピュラーなのは大田田根子という表し方だが、大神神社では大直禰子命と記載される。ちなみに『古事記』では意富多多泥古命。
いずれもオオタタネコと読む。・・・古代の名前はややこしい。
「オオ=大」は美称で「ネコ」は尊称。”とにかくすんごい人”という意味の名前だと推測される。
そんなオオタタネコが活躍したのは桧原神社の創建でもご紹介した
第10代崇神天皇(実在した可能性のある最初の天皇)の時代
「古事記」の内容を簡単に説明すると・・・
疫病が流行で人民が多く死に、困っていた天皇の夢枕に大物主大神が現れ「自分の子孫であるオオタタネコという人物に自分を祭らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べた。天皇はその人物を捜し出し、オオタタネコに三輪山の神を祭らせた。すると、これにより、疫病は収まり、国内も鎮まった。
とあります。
大直禰子神社 その他
境内に置かれている御饌石(みけいし)から、近くの大神神社の摂社である、知恵の神様「久延彦神社」に参拝できるようになっています。 「久延彦神社」 はとても急な階段を昇った上にあるので、足の弱い方などにはありがたいですね。
大直禰子神社と神宮寺
さて、この大直禰子神社。
社殿をよーく見てください。建物に(特に屋根)どこか既視感を感じることはないでしょうか。
この建物・・・神社と言うより何となく・・・
それもそのはず、こちらの 大直禰子神社、明治時代以前は大神神社の「神宮寺」である
「大御輪寺(だいごりんじ)」というお寺だったんです。
神宮寺とは
奈良時代以降、仏教の影響をうけて神社にはたくさんの神宮寺や、仏像などがつくられていました。
しかし、明治時代の「神仏分離」「廃仏毀釈」によりそのほとんどは廃寺となってしまいました・・・(T_T)
大神神社にも神宮寺が3つ(大御輪寺・浄願寺・平等寺)ありましたが、いずれも廃寺となりました。
大直禰子神社の社殿はかつての大御輪寺をそのまま使っています。なので外観がお寺っぽいというわけです。
この神社はかつての神宮寺の名残を留めるという意味でも貴重な神社となっています。
聖林寺 十一面観音
奈良県桜井市の山間に「聖林寺」と言うお寺があります。
こちらのお寺には国宝に指定されている「十一面観音像」がいらっしゃいます。
明治時代に東洋美術研究家のフェノロサがこの像を大絶賛したというのは有名な話です。
フェノロサのみならず、現代でも観音様の美しい立ち姿にファンも多いこのお寺の「十一面観音菩薩立像」
こちらの像は、明治時代以前は、こちらの「大直禰子神社」に若宮神とともに祀られていました。
現在は「聖林寺」に佇まれている十一面観音さまが、元は三輪山の中にあるお寺で祀られていた。
というのはとても感慨深いですね。