飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去(い)なば 君が辺りは 見えずかもあらむ
と詠んだのは元明天皇だそうで。意味は「明日香の里(都)を置いて(平城京に)行ってしまえば、君が住む辺りは見えなくなってしまうのでしょうね。」となります。都を藤原京から平城京に遷都する際に読んだ歌だそうです。
今回は、古代日本の中心地として栄えた奈良県明日香村にある飛鳥寺のお話です。
明日香村のお話
「あすか」という呼び名、村の名前は「明日香」村。でも駅は「飛鳥」駅。お寺も「飛鳥」寺。どっちやねん。と言いたくなります(笑) 飛鳥の「飛鳥(飛ぶ鳥)」はもともとは、「飛鳥地方」一帯をさす枕詞として使われていました。奈良の都の枕詞「あをによし」がそのまま奈良の意味でつかわれるようになった。みたいなイメージでしょうか。その「飛鳥村」が「明日香村」と漢字を変えたのは昭和の時代。
飛鳥村、高市村、阪合村の三村が合併した際に「明日香村」と改名しました。嘘かほんとか、この「明日香」の漢字は当時の小学生が付けたものだそうですよ。今ごろ、鼻高々ですよね(笑)
ちなみにですが、明日香観光は離れた場所にある色んな史跡を巡るというのが醍醐味ともいえます。ハイキング気分で歩いて巡ったり、車やタクシーでサクサク巡るも良いんですが、個人的にお勧めなのはレンタサイクルです! 田舎の田んぼ道を自転車で颯爽と走り抜ける爽快感を是非味わっていただきたいです。子供用の自転車の貸し出しもしている所もあり、また自動車の交通量も道を選べば比較的少ない場所が多いので自転車に乗れるようになったお子さんがいる方はサイクリングも兼ねて。という楽しみ方もできると思います。
飛鳥寺のざっくり解説
- 古代の有名人 蘇我馬子 が創建した日本最初の本格的な寺院(596年創建)
- なんと仏舎利(ブッダの遺骨)が奉納されている
- お寺の伽藍が塔を中心に配置
- ご本尊の飛鳥大仏は日本最古の仏像(609年建立)
- 新西国第九番霊場(西国三十三か所とはまた別のくくり)
- 実は境内のすぐ外に日本初の首塚があったりする
- 入場料が大人350円とそこそこリーズナブル
さてさて、奈良観光のスポットとしては「東大寺」「法隆寺」などに比べるとちょこっとだけマイナーな飛鳥寺ですが、ここには日本初がたくさんあるんです。
日本初ポイント その1 日本初のお寺
飛鳥寺の概要・・・588年に百済から仏舎利が献じられたことにより、蘇我馬子が寺院建立を発願し、596年(推古天皇4年)に創建された。
上記の説明でも分かる通りとんでもなく古いお寺です。古事記も日本書紀もまだ無い時代に創建されていますからねっ!もちろん日本最初の本格的な寺院。ちなみに、仏舎利というのはお釈迦様(ブッダ)の遺骨の事です。お釈迦様の遺骨って・・・そんなものが現存してるの!?と叫びたくなりますが、そう言い伝えられていて、もちろん飛鳥寺に現存します。
田んぼの中にこぢんまりして建つ寺院の姿からは想像もつかない歴史と重みのつまったお寺です。飾らない、素朴なところが飛鳥寺の良いところでもあります。
当時の寺名を法興時、元興時、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだそうですが、何で三つも名前あるねん。と突っ込みたくなるのは私だけでしょうか。
日本初ポイント その2 日本初の国産仏像
ご本尊 飛鳥大仏(釈迦如来座像)銅製 重要文化財
推古天皇が、聖徳太子や蘇我馬子などと発願し、百済系渡来氏族である鞍作鳥に造らせた。と言われています。なんと法隆寺の釈迦三尊像(これも鞍作鳥 作)よりも古い!年代のわかる現存の仏像では日本最古のものを言われています。
仏像のお顔はやはり、渡来系の作者という事で、ガンダーラかほる元祖「アルカイックスマイル」エキゾチックな瞳と彫りの深い鼻が特徴的。大きさは4.85メートルと結構大きく、金堂の中でかなり近くから拝観させてもらえます。しかも、撮影自由という、仏像好きの夢のつまりまくった大仏様。仏舎利も大仏様の目の前にそこそこ不用心に置いてありました。・・ええんか?いや、そのユルさが飛鳥寺の醍醐味なのでしょう。
金堂の飛鳥大仏様の前では、地元のボランティアの方が定期的にお寺の由来や大仏様の解説をしてくださいます。地元の方に愛されているのが伝わってきます。
10数年前に行った頃は、そのボランティアの方から「887年と1196年の落雷によってお寺が火災にあったさい、お顔の一部と左耳、右手の中央の指三本のみが当時のままです。」と解説してくださったのですが、1年ほど前に行った時には「最近の調査で、現存する大仏様のほとんどが建立当時のままだろう。という話です。」との解説に変わっていました。これからも色んな謎が解き明かされていくのでしょうか。ワクワクが止まりません。
日本初ポイント その3 首塚
え?お寺なのになんで首塚!?と思われる方もいるかもしれませんが、飛鳥寺の境内にあるのではありません。境内を入り口を反対の方へ進むと、裏口があります。そこから出たすぐ先には歴史の授業で「むしごろし」と名高い乙巳の変(大化の改新)で殺された蘇我入鹿の首塚があります。その背後には、蘇我氏の邸宅のあったといわれる甘樫丘が見え、故人ゆかりの地に祀ってあげたのかなぁ。と感慨深く思いました。飛鳥寺がそもそも、蘇我氏に所縁の深いお寺ですからね。
そしてこの首塚、もちろん日本最古の首塚・・・。明日香は本当にはじめてづくしの場所です。