お寺

興福寺国宝館の「阿修羅」「八部衆」ついでに「仏頭」

前回、「興福寺国宝館」に数ある珠玉の仏像や、私が選んだ独断と偏見で選んだオススメの仏像たちをピックアップしてご紹介しました。

今回は前回紹介した中から特に好きな「阿修羅像」「八部衆」そして「仏頭」をもっと掘り下げて説明していきたいと思います。
「阿修羅」は分かる。「八部衆」も聞いたことある。・・・しかし、何で「仏頭」!?ただの頭じゃないの?と思ったそこのアナタ。かつて私もそうでした・・・笑。

しかし、この仏頭には何とも数奇な歴史があるんです。国宝館で頭だけの像なのに異様に重厚なオーラを放つ仏頭、
それを語れれば、明日から国宝館でドヤ顔できること間違いなし。ではないでしょうか。

阿修羅像 (国宝)奈良時代

  • 言わずと知れた仏像界のスーパースター。大正義 阿修羅像。「阿修羅しか勝たん。」と豪語する仏像ファンも多い。(たぶん)
  • 名前の由来はサンスクリット語の「Asura」の音写
  • 「生命(asu)を与える(ra)者」とされたり「非(a)天(sura)」にも解釈され、全く性格の異なる神となる。二面性を持つとか、まるで漫画みたいな神設定。(いや、仏様だけど)
  • 数ある阿修羅像の中で最も美しい」「天平彫刻の傑作」と、もう色んな所で大絶賛されまくっている
  • 気品のある佇まいと、憂いを帯びた少年の面影をとどめる中性的な顔が日本人の心を掴んで離さない。
  • 像の高さ153センチ。
  • 製作技法は「脱活乾漆造り(だつかつかんしつつくり)」これは、当時の大国、中国・唐から伝わった最新のイケてる技法だった。
  • 麻布の上から漆を固めて作る「脱活乾漆造り」は中が空洞なので軽い仏像に仕上がる。その為、阿修羅像も軽い。
  • 三つの顔に六本の腕を持つ異形の姿をしている。けれども、その異形さを全く感じないのが、天平の名作たる所以。
  • 六本の手のうち、前で合掌している手の右ひじから先は、明治時代の修復である。元は右手に輪宝をのせ、左手を添えていたとされる。
  • 阿修羅の属する八部衆は、もとは古代インドで信仰されたの異教の神々
  • その異教の神々を仏教に取り入れた際に、異形の形が名残として残ったと言われる
  • 阿修羅も、もとは古代インドの戦闘神。しかも悪神。常にインドラ(帝釈天)とバチバチに戦う悪の戦闘神だった。
  • しかし釈迦に諭されて仏教に帰依してからは善神となり仏教を護る守護神となる。お釈迦様の更生させる能力はハンパではない。
  • 古代インドの神様らしく、古代インドの装飾品である胸飾りをつけている
  • 巻きスカート状の衣には宝相華文(ほうそうげもん)という空想上の花の模様が残っている。お洒落さんである。
  • さらに、他の八部衆は皆、沓(くつ)を履いているのに、なぜか阿修羅だけはサンダル(板金剛)を履いている。これも、作者こだわりのお洒落だと思われる。
  • もとは真っ赤な像だったと言われ、現在でもうっすらとだが、彩色の跡がみられる。

八部衆立像 (すべて国宝)奈良時代

  • 古代インドで信仰されていた土着の神々が仏教に取り入れられて生まれたのが八部衆
  • 「法華経」では、天・龍・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだっぱ)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)摩睺羅伽(まごらか)を指す。
  • ちなみに、これらの神々をモデルにした『聖伝-RG VEDA-』という漫画をCLAMP(『カードキャプターさくら』などで有名)が書いていた。(1989年作)興味があれば読んでみても楽しいかもしれない
  • しかし興福寺では 天→五部浄(ごぶじょう) 龍→沙羯羅(さから) 夜叉→鳩槃茶(くばんだ) 摩睺羅伽→畢婆迦羅(ひばから)とされている。
  • どちらにせよ、難しい名前なので「何か興福寺バージョンなのね。」くらいの認識が丁度良い。
  • 鑑賞時に仏像の名前が難解で心が折れそうになる。が、読み方など気にせずに、若々しく、柔らかな質感の天平彫刻をただ堪能するのが一番だと思う。だって、美しいんだもの。
  • ちなみに、天平6年(734年)の西金堂創建時は、本尊釈迦如来(現在は焼失)の周囲脇役として八部衆は安置されていた。
  • 八部衆は仏教の分類上「天部」に属しており、それほど重要な位置づけではなかったからである。
  • しかし、現代の「興福寺国宝館」では一番いい展示場所で、人気の阿修羅像と共に、主役級の扱いをうけている。
  • ↓以下八部衆(阿修羅以外)のそれぞれについてご紹介

五部浄像(ごぶじょうぞう)

  • 八部衆の「天」に相当。興福寺では、最初にこの像を置くことによって「天部」像を総称する。もしかしたらリーダーなのかもしれない
  • 胸から下が欠損しているものの、りりしいお顔立ちが美しい。頭の上には鼻の掛けた像の冠をかぶっている。

沙羯羅像(さからぞう)

  • 幼い顔立ちながら、蛇を上半身から頭に巻き付けている。
  • 古代インドでは竜の化身で雨乞いの神として信仰されていた。。

鳩槃茶像(くばんだぞう)

  • 元は死者の魂を吸う悪鬼。それが善神にかわったもので、仏教では増長天に仕える。
  • 元悪鬼らしく、毛を逆立てた炎髪といわれるヘアスタイルが特徴的。

乾闥婆像(けんだっぱぞう)

  • インド神話では音楽の神。仏教では帝釈天に仕える。
  • 頭には獅子の冠をかぶり、八部衆像の中で唯一目を閉じている。

迦楼羅像(かるらぞう)

  • インド神話に登場する巨鳥。金色に輝く姿で竜を好んで食べ口から火を噴くといわれている。
  • 八部衆のなかで一体だけ頭が鳥なので非常に分かりやすい。
  • ちなみに、ゼルダの伝説(ブレスオブザワイルド)に出てくるリーバルは迦楼羅像がモデルなんじゃないかと個人的に思っている。

緊那羅像(きんならぞう)

  • サンスクリット語で「何か(kim)人(nara)」という意味。
  • 「人なりや何なりや」という謎の問いかけを名前に付けられた神様。要するに「人ですか?何ですか?」という事だと思われる(超解釈)
  • 半神と言われ、頭に角を生やしており、よく見ると額には三つ目の目もある。

畢婆迦羅像(ひばからぞう)

  • 他の像とは違って、髭などを生やして少しダンディな雰囲気の像。大蛇ニシキヘビを神格化したといわれる。音楽をつかさどり、横笛を吹いて諸神を供養する。

仏頭 (国宝)奈良時代

  • その名の通り、頭だけが残っている仏像。
  • ただの仏の頭ではなく興福寺により数奇な運命をたどった仏像なので、歴史と共に注目してあげてほしい。
  • 1180年(平安後期)、平清盛の子である、平重衡(しげひら)による南都焼き討ちによって、興福寺は全焼してしまう。
  • すぐに焼けた興福寺の復興事業が行われ、仏像を、運慶・快慶などの慶派仏師に制作を依頼したりしていた。
  • 復興造営のさなか、1187年一部の過激な僧兵たちが飛鳥の山田寺を襲撃!山田寺の本尊だった薬師三尊像を強奪して、新しく完成していた東金堂の本尊としてしまう。
  • 後年「東金堂」が落雷により焼亡するまで、その薬師如来像は興福寺「東金堂」の本尊として置かれていた。(一応、和解は成立したらしいけど、山田寺は本尊を返してもらえなかった・・・。)
  • このエピソードからも、当時、興福寺が、藤原氏の氏寺として絶大な権力をもっていた事が分かる。
  • そんなこんなで、興福寺に運ばれた薬師如来像だが、1411年の落雷で堂が炎上した際に頭部以外は焼け落ちてしまう。
  • それ以来頭部の行方が分からなくなっていたが、昭和12年(1937年)に現在の東金堂の本尊の台座部分から発見された。
  • 何と500年ぶりの発見。
  • 紆余曲折を経た仏像の頭部は、今は興福寺国宝館で静かに令和時代を見つめている。(おつかれさまでした!と静かに両手を合わせたくなる。)
  • 興福寺が出している収蔵品のパンフレットには「銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)」と紹介されている。興福寺の愛です。愛。
  • ちなみに、685年に開眼供養された記録が残っていて、造立年代が明らかであることから、白鳳時代の彫刻の基準作として高く評価されている。
興福寺国宝館(エースはやっぱり阿修羅さま) 近鉄奈良駅から「東大寺」へ向かう道すがら奈良県庁のちょうど南に位置する「興福寺」。奈良公園の一部となっている興福寺の境内はとっても開放...

終わりに・・・

「阿修羅像」「八部衆像」「仏頭」について深堀してみましたが、どうだったでしょうか。個人的に一番好きなのは阿修羅像なのですが、歴史を知ると仏頭に注目したくなりませんか?笑 「国宝館」に行かれた際には、是非注目をしてみてくださいね。