橘寺 基本情報
橘寺
住所:奈良県高市郡明日香村橘532
電話:0744-54-2026
拝観時間:9時00分~17時00分
拝観料:350円(子ども料金あり)
アクセス:近鉄 「飛鳥駅」より明日香周遊バス 「川原」または「岡橋本」下車 徒歩3分
駐車場:あり(無料)
橘寺 駐車場情報
橘寺には無料の駐車場があります。
秋の彼岸花の季節の土日祝などはまれに込み合いますが、止められないことはめったにありません。
橘寺の明日からドヤれる解説
- 天台宗のお寺(比叡山延暦寺の直属のお寺)
- 聖徳太子(厩戸皇子)生誕の地として有名
- さらに、聖徳太子建立の7カ寺の一つ。
- そんなこんなで聖徳太子とはとても縁が深く、境内には太子の愛馬「黒駒」の像も!
- 橘寺のあった場所は元は「橘の宮」という欽明天皇(聖徳太子の祖父)の別邸があった
- その御殿を改造して造られたのが「橘寺」のはじまりとされている
- 創建当時は広大な敷地に金堂・講堂・五重塔などさまざまな建物が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた
- しかし、火災や多武峰(談山神社のあるあたり)の兵によって焼かれたりして衰退
- 現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている
- ちなみに、法隆寺の日記によると、「橘寺より仏像を49体お迎えした」との記載もあるようで、聖徳太子の縁からか法隆寺交流も盛んだったよう
- 本堂の太子殿には、聖徳太子35歳の像が安置されている
- 聖倉殿 (収蔵庫) の天井画は橘寺のみどころの1つ。毎年春と秋に特別公開が行われている
- 境内の隅に二面石と呼ばれる飛鳥時代の謎の石造物があり、古代のミステリーロマンも味わえる
境内には五重の塔の立っていた婆所に心礎の跡が残っています
二面石の謎
- 橘寺には謎の石造物である二面石がおかれている
- 太子殿の左横にひっそりとあるこの像は人の心の善悪2つの顔を表しているらしい
- 無垢な顔つきの善面と、大きくゆがめられた悪面。といわれていてよーく見るとそんな風にみえなくもない
- この石造物は、猿石(吉備姫王の墓にある)と同じ場所から掘り出されたと考えられている
- 吉備姫王は、皇極(斉明)天皇の母。
- 皇極(斉明)天皇は飛鳥の地で沢山の石造物を造らせているが、その意図や意味は不明
- 飛鳥の古代のミステリーの1つといえる
四季折々の愉しみ
橘寺は明日香村の、田園に囲まれた小高い丘の上に立っています。
四季折々に違った表情を見せてくれるのどかな田園風景に溶け込む橘寺の風景はとても心が癒されます。
橘寺に訪れた際は、ぜひ遠景から見た景色も楽しんでくださいね!
創建者の聖徳太子ってどんな人物?
橘寺を創建したのは聖徳太子。日本古代史では一番の有名人ではないでしょうか。
推古天皇の摂政をつとめ、仏教を広めて冠位十二階や十七条憲法などを制定した優れた人物。として授業で習った方も多いはず。
そんな古代のスーパースター「聖徳太子」。
実は、彼のこの名前は後世の人が付けた尊称です。
『日本書紀』の記述を参考にすると。彼の歴史上の本名は「厩戸皇子(うまやとのみこ)」とされています。
この厩(うまや)というのは馬小屋のこと。『日本書紀』によれば、「厩戸」の名は、宮中をめぐっていた母親が厩の戸にさしかかったときに出産したという逸話がもとになっています。
欽明天皇の孫にあたる人物で、蘇我氏とも縁が深い血筋です。
蘇我氏は聖徳太子の活躍した時代の大豪族でとても勢力がありました。
最近の研究で、「冠位十二階」「十七条憲法」「遣隋使」など聖徳太子の偉業だといわれたことは、彼一人でなく天皇や蘇我氏・聖徳太子を中心とした共同体制によるものだという事がわかってきています。
けれど、『古事記』に記載されている太子の別名「上宮之厩戸豊聡耳命」の「豊聡耳(とよとみみ)」という名には「頭が良い」という意味があり、
聖徳太子がこの時代の政治の中枢にいて、優秀な人物だった。というのは間違いがないようです。
橘寺まとめ
「橘寺」いかがだったでしょうか。
2021~2023年は聖徳太子が世を去ってから「1400年」というアニバーサリー年です。
(太子の没年は諸説あるので、3年ほど期間をとっているという事です)
それにちなんで、各地で聖徳太子にまつわる行事やイベントが行われるようです。
あなたもこの記念の年に、聖徳太子ゆかりのお寺を色々訪ねてみませんか?
また、明日香村には、他にも様々なお寺や史跡が点在しています。
「東大寺」や「興福寺」のある奈良公園周辺もよいですが、
ゆったりした時間の流れ、古代を感じることができる明日香村の観光もとてもお勧めです。
よもやま話「橘(たちばな)」って何?
橘は日本唯一の野生の柑橘類(ミカンの原種)です。
香りが強い果実は長い間落ちることなく枝になっていることから「永遠の命」を象徴する果実ともいわれます。
「古事記」にも橘にまつわる話があります。
”一世紀ごろ病気がちだった垂仁天皇の為に田道間守(たじまもり)は常世の国(現世の極楽)に、不老不死の妙薬を探しに出かけます。10年以上の歳月をかけて「非時香菓(トキジクノカグノコノミ)」なる仙薬を手に入れ都に戻りますが、すでに天皇はお亡くなりになっていました。田道間守が持ち帰った実を当地にまいて目を出したのが橘で、それ以来この地を「橘」と呼ぶようになった”
そんな歴史ある植物「橘」ですが
現在は絶滅危惧種といわれていて、保護活動が行われています。